4〜20mA物語
4〜20mAの直流電流信号がなぜ世界標準になったのか?(4)

 

北辰電機OB 長谷川好伸氏

[村上]さて、統一信号の規格化が進められていた1960年代初頭では、日本のプロセス産業や工業計器の技術はどんな状態でしたか?
 [長谷川]当時の日本は、国全体として欧米に追いつくことが目標であり、工業計器についても、欧米とくにアメリカに比べて大きく遅れ、多くの工業計器がアメリカの会社との技術提携によって作られていました。
 技術提携によってアメリカで開発された製品を作るもう一つの理由としては、工業計器の大きなユーザーである石油化学のプラントは、そのほとんどがアメリカの技術を導入して建設されていたため、制御に使われる計器も技術導入先のアメリカの石油化学プラントで使われている製品と同じものの方が使いやすいということがありました。
 統一信号の審議においても、技術提携している日本の会社には提携先の意向の影響があり、独自の案をまとめることが難しい状態でした。
 審議が開始されたときの各社の信号としては、DC1〜5mA、DC2〜10mA、DC4〜20mA、DC10〜50mAなどがありました。また、交流電圧や直流電圧を採用しているメーカーも一部にありました。しかし、前に述べた技術上の背景や、直流電流信号を採用しているメーカーが大部分であったなどの理由から、ライブゼロの直流電流を統一信号にすることには異論はほとんどなく、問題は直流の電流信号を何mAにするかという信号レベルの値にありました。
 ユーザーからは、信号統一の必要性は強調されましたが、電流の値についてはとくに意見はなく、どの値でもいいからメーカーで話し合って早く統一してくれ、といった発言もありました。
 [村上]規格の審議はどのようにして行われましたか?
 [長谷川]IEC/TC65(工業プロセス計測制御技術委員会)の会議は、ほぼ年1回のペースでヨーロッパで開かれました。
 最近は、このような会議は世界各地で持ち回りで開かれているのではないでしょうか。当時は、委員長がヨーロッパの人で、いつもヨーロッパで会議が開かれることからも、統一信号の審議がヨーロッパ中心で行われたことがわかると思います。
 個別の規格を検討するワーキンググループ(WG)の会議も、分科会として、親委員会のTC65と同じ日に、同じ場所で開かれました。WGの審議内容はTCに報告され、最終の結論は、各国の賛否投票を経てTCの承認によって正式な規格となります。しかし、TCの会議はセレモニーのようなもので、何か特別のことがない限り、WGの報告がそのまま承認されたようでした。
 会議が年1回で、会期も短いため、WGの実質審議は文書のやりとりで行われました。規格案の提出、案に対する意見などが各委員に求められ、日本でのWG4の検討会議は、文書が送られてきて、賛否、意見が求められたときに、不定期に開かれて協議しました。多い年には、年に数回会議が開催されたと記憶しています。
 前にも述べたように、国内メーカー各社の信号値は異なり、計装用信号を統一することが難しかったので、日本としては、積極的に案を提出しないで、提出された規格案を検討し、賛否、修正意見を述べるにとどまりました。したがって、日本の検討会議は、送られてきた資料の勉強会のような雰囲気でした。
 苦労して、日本として最良と考える統一信号を提案したとしても、当時の日本の力では外国の委員を説得することはできないと私は考えていましたし、これは日本の関係者全員の共通認識でもあったと思います。
 統一信号をDC4〜20mAにするという案は、TC65の委員長(ヨーロッパ人)の提案でしたが、ヨーロッパの委員の間では、公式の会議や資料の交換のほかに、事前に非公式な話し合いが行われていたようで、委員長の提案に対して、賛成の意見がすぐにヨーロッパの何人かの委員から寄せられました。
 日本としても、議論はありましたが、結論として、DC4〜20mAの委員長提案に賛成することにしました。
 [村上]統一信号に関して、当時、長谷川さんの所属していた北辰電機社内の状況を教えてください。
 [長谷川]当時、私は北辰電機の開発部門の主任研究員として電子式制御装置の回路の開発を担当していました。
 当時は、開発の技術者が自ら製品の仕様を提案し、その仕様に従って開発を進めていました。とくに北辰電機では、その傾向が強かったと思います。したがって、開発の技術者がこのような外部の委員会に派遣されたのだと思います。
 信号の統一は、技術上の問題もありますが、むしろ営業的な面での検討が必要な問題だと思います。現在なら、マーケティング部門などから委員が派遣されるのではないでしょうか。
 北辰電機も、当時はアメリカの技術の導入をしていました。しかし、対象はセンサに限られ、電子式制御装置については、センサの一部を除いて独自に開発した製品を販売していました。伝送信号としてはDC2〜10mAを採用していましたが、この信号は独自に決めたものであり、その変更もほかからの干渉なしに行える立場にありました。
 国内対策委員会の審議内容は会社に報告していましたが、委員長からの、統一信号をDC4〜20mAにするという最終提案があるまでは、とくに意見もありませんでした。
 北辰電機の社内でも、信号統一の必要性は理解されており、DC2〜10mAの信号を採用している世界的な総合計装メーカーはほかになかったので、DC2〜10mAの信号が世界の標準になることは考えにくく、その変更はやむをえないとの認識がありました。しかし一方では、DC4〜20mAは山武ハネウエル社が採用していた信号であったため、それが統一信号になると「当面の商売敵に負けることになる」と、営業の一部から批判されました。本音は、横河、山武以外の信号であれば何でもよいというのがその実態でした。
 そのようなことから、北辰電機としては、DC2〜10mAが世界標準になることが会社としては望ましいことでしたが、私にはDC2〜10mAの世界標準への採用を説得する自信はなく、国内対策委員会のWGの主査として日本の意見をまとめなければならない立場にもあり、会社の正式承認は得ていませんでしたが、同WG4の会合でTC65委員長の提案であるDC4〜20mAに真っ先に賛成の意思を表明しました。
 WG4の他の委員については、提携会社との関係もあり、それぞれの社内での検討内容は承知しませんが、日本のTC65対策委員会の結論としては、TC65本部の委員長案であるDC4〜20mAに賛成することに意見をまとめて提出しました。
 ライブゼロの直流信号であれば、どの信号に決まっても技術的には大差はないので、技術屋の集まりであった国内WG4の意見はまとまりやすかったのですが、これがもし営業関係者の集まりであったとしたら、この件に関する意見のまとめは大変だったのではないでしょうか。